秋空に誘われ以前から訪れたかった忍城へ
所在地 埼玉県行田市本丸17-23
(最寄り駅 秩父鉄道 行田市駅)
築城年 1490年
築城者 成田親泰
湿地帯を利用した平城で 沼に浮かぶ島が
水門で結ばれた複雑な地形だったそう。
攻めにくく守りやすい城ですな。
幾度かの攻撃に耐えた”忍の浮き城”との異名があります。
最近では小説”水の城”や
映画”のぼうの城”の舞台になっていたので
その浮きっぷりを目で確かめたかった!
1590年 秀吉の小田原攻めの際に
石田三成が忍城の地形を利用して
周囲に堤防を築いて 荒川と利根川の水を引き込み
城の周囲を水没させようと目論見ましたが失敗。
勇敢に籠城の指揮を執っていたのは
城主 成田氏長の娘で東国一の美女といわれた
甲斐姫。
美貌を誇りながらも
実戦に参加し兵士の士気を高めました。
石田軍の猛攻を退けて 城を守り抜きましたが
小田原城の落城をもって忍城も開城。
その後 甲斐姫は秀吉の側室そして召しとられます。
その後 時代の変遷の中で
天領となるなど 歴史の表舞台からは忘れ去られ
明治維新で廃城となり解体。
昭和63年に再建された櫓と鐘つき台が
わずかに当時を思い起こさせます。

現在は小さなお堀が残るのみ

当時の復元図によると
まさに 浮城にふさわしい複雑に入り組んだ地形が
よくわかります。

こちらは 1823年当時の地図
水色の部分は堀・沼・川

分かりづらいですが 中心の薄紫部分がお城
オレンジは武家屋敷
外観の忍川から水路を引きこみ 船で往来していたそう。
うーん これそのまま残っていたら
さながら日本のベニスです。
全く面影が残っていないのが本当に惜しい!
ところで疑問が一つ浮かびます。
これだけの堀や川を埋め立てた土は
どこから 持ってきたのかしら?
なぞは意外なところで 解けました。
行田は蔵の街

たまたま 訪れた”足袋蔵 まちづくりミュージアム”の方と
お話していて 行田市内ある さきたま古墳群の
盛り土を埋め立て用に使ったらしいのです。
リユースするにも なんと勿体ない話ではありませんか!
そのため 土があらわになった関東最大の石舞台古墳も出現しています。
古墳時代から 人の営みがあった行田市 おそるべし。
訪れたのは月曜日だったので 残念ながら博物館は閉まっていました。
今度はお城&古墳めぐりツアーで再取材したいと思いました。

おまけ

以前からの 古い石垣ってどうやって組み上げていたのか?
土塁に張り付けただけなのか? 組み込まれているのか???
ずっと疑問に思っていましたが
今回 謎が解けました。

(写真右の石)表面は平らですが
ピラミッド型に先端を尖らせて
土塁に埋め込んでいたようです。
あー そういうことかと膝を打ちました。
ささいな気づきですが 石垣マニアにはたまらん。
一つ一つの石を このように細工していたとは
築城の技術力の高さを思い知らされます。