カテゴリ:Castle( 6 )

犬山城

最初に訪れたのは
国宝 犬山城
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先月の落雷で破損した鯱も展示されていました。
戦国時代のお城で唯一 
現存するお城
きりっと美しい
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by akawak | 2017-08-11 10:59 | Castle

 日本人の心情で 判官贔屓 
滅びの美を愛でるDNAがあります。
もちろん 私もそうで
主流よりも傍流を愛してやまない。
巨人よりヤクルトが好きだし。


で今は石田三成様LOVE!
今回の旅のテーマは三成ゆかりの土地を訪ねること。
一応 私達夫婦は東から
西より義母と義兄参加
家族旅行という名目でありましたが・・・
ここで 奇しくも関ヶ原近くで
相対することとなりました。



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彦根城や竹生島など歴史秘話満載の土地を訪れましたが
私は三成様ゆかりの三和山城址や龍潭寺を訪れることができて
静かに思いを馳せました。。
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井伊家ゆかりのお寺 龍潭寺
三和山麓にあるお寺で裏道から
三和山城址につながるというのですが
次回にお預け。
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おまけ
家族旅行のメイン 竹生島(ちくぶじま)は いわば歴史のガラパゴス諸島。
かわらや投げを楽しみました~
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願いは一つ
家族 みんな幸せでありますように・・・
なのに 夫は茶化して
どうせ 株上がれ~と願い事しているんだろうと。
それよりも 二の腕と
越し周り”ぐらびてぃ”がひどいわ。




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by akawak | 2016-07-25 18:57 | Castle


 備中高梁を後に向かったのは 吉備路。
古代 大和朝廷とならぶ吉備王国が覇権を誇っていましたが
詳細は謎に包まれている神秘的な土地です。

まず 鬼ノ城(キノジョウ)へ
立地 吉備高原の鬼城山
鬼城山ビジターセンター(0866)99-8566
総社市黒尾1101-2
駐車場が管理されていてビジターセンターから
鬼ノ城まで徒歩10分ほど
見学自由で無料
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温羅(ウラ)という鬼が吉備国で悪事を働いていたので
大和朝廷から任命された吉備津彦が温羅退治をした伝説が
桃太郎の起源と言われます。
温羅が住んでいた山城が鬼ノ城とのこと。
一説によると白村江の戦い以降
渡来人襲来を防御するための砦とも言われていますが
全く記録が残っていません。
現在は櫓や門が復元されています。 

それにしても こんなに青空が抜けるように美しい山城
見たことがありませんわ。

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砦から吉備路が一望。
大和朝廷が敵対する吉備国家を鬼と見立てて
見張るための山城だったのかも知れない
など 妄想が止まらなくなります。
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さらに 吉備津彦を祀った吉備津神社へ
国宝の本殿は霊験あらたかです。
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高低差を活かしたなだらかな回廊は
流れるような美しさ必見です!
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まだまだ見所満載
日本で4番目に大きな規模の造山古墳は前方後円墳
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なんと頂上に登ることができます。
山頂よりみた暮れていく吉備路
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古墳の土を踏みしめることができるとはなんとも恐れ多いのですが
なかなか体験できません。


秋の夕暮れはつるべ落とし
残念ながらタイムアップです。倉敷に一泊し
またまた午前中早めに備中国分寺を訪れました。
聖武天皇の勅願によってできた国分寺の一つで
現在の伽藍は江戸時代初期に再建された重要文化財。
吉備路はまるで小奈良のような 古式ゆかしい
長閑な風景が広がります。 
色づいた柿が秋の風情を深め 日本の情緒たっぷりです。
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さらにこうもり塚古墳、国分尼寺など古代の遺跡が目白押し。

(コウモリ塚古墳の石棺)
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サイクリングコースとして回るのも 良いですなあ



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by akawak | 2015-11-03 11:17 | Castle

10月31日(土)~11月1日(日) 岡山旅行へ
初日は 山城のある備中高梁と
古墳群の多い吉備路をめぐり 
倉敷に泊まりました。
翌日は吉備路で取りこぼした古墳群と国分寺
倉敷に戻り大原美術館
岡山へ移動して 後楽園、岡山城

地味なイメージの岡山ですが 
歴史的 文化的に見所満載で素晴らしいところです。
 
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まず 以前から行きたかった備中松山城へ
日本で最も標高が高い(430m)に現存する山城。
国重要文化財
築城 1240年 秋庭三郎重信
交通 備中高梁駅より
   城見橋公園より5合目までシャトルバスが出ていますが
   その後は徒歩700m 約20分
   ほぼ山道で 滑りやすい 
 
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普段 山歩きをしたことがないから かなりハード
すでに 足が筋肉痛で 日ごろの運動不足が悔やまれますわ。
相当苦しい思いをしてやっと石垣が見えてきました
堅い岩盤をもとに 石垣を積堅固な造り
それぞれの石は この山から切り出した物をつかっているそうです。
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三の丸付近 まだ天守閣は見えません
もし攻める方ならば 焦りますね(笑)
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さらに厩曲をすすむと二の丸へ
急に眼前が開け 見晴らしが良くなり
美しい天守閣が圧倒的な存在感を放ちます。
今までの苦労も吹き飛びますわ。
いや 絶景!!
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(二の丸より撮影 手前は五の平櫓 奥が天守閣)
正面は唐破風出窓
ドラえもんのポケットで どことなくユーモラス
周囲を山で囲まれて 難攻不落の城であったことが
納得できます。
普段城主は山麓の居館に住み
戦乱時に使われたそうです。

明治維新後 あまりに高所にあったため
廃城令をまぬがれました。 本当に歴史をかいくぐってきた執念を
感じます。
綺麗に復元されていますが 以前は狐狸が住むような幽霊城でした

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天守閣が残る山城は 本当に訪れる価値があります。
是非!! 足を伸ばしてみてください。










  

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by akawak | 2015-11-02 17:04 | Castle

忍城(おしじょう)

秋空に誘われ以前から訪れたかった忍城へ
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所在地  埼玉県行田市本丸17-23
(最寄り駅 秩父鉄道 行田市駅)
築城年  1490年
築城者  成田親泰


湿地帯を利用した平城で 沼に浮かぶ島が
水門で結ばれた複雑な地形だったそう。
攻めにくく守りやすい城ですな。
幾度かの攻撃に耐えた”忍の浮き城”との異名があります。
最近では小説”水の城”や
映画”のぼうの城”の舞台になっていたので
その浮きっぷりを目で確かめたかった!

1590年 秀吉の小田原攻めの際に 
石田三成が忍城の地形を利用して
周囲に堤防を築いて  荒川と利根川の水を引き込み
城の周囲を水没させようと目論見ましたが失敗。
勇敢に籠城の指揮を執っていたのは
城主 成田氏長の娘で東国一の美女といわれた
甲斐姫。 
美貌を誇りながらも
実戦に参加し兵士の士気を高めました。
石田軍の猛攻を退けて 城を守り抜きましたが
小田原城の落城をもって忍城も開城。
その後 甲斐姫は秀吉の側室そして召しとられます。


その後 時代の変遷の中で
天領となるなど 歴史の表舞台からは忘れ去られ
明治維新で廃城となり解体。 
昭和63年に再建された櫓と鐘つき台が
わずかに当時を思い起こさせます。

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現在は小さなお堀が残るのみ
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当時の復元図によると
まさに 浮城にふさわしい複雑に入り組んだ地形が
よくわかります。
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こちらは 1823年当時の地図
水色の部分は堀・沼・川
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分かりづらいですが 中心の薄紫部分がお城
オレンジは武家屋敷
外観の忍川から水路を引きこみ 船で往来していたそう。
うーん これそのまま残っていたら 
さながら日本のベニスです。
全く面影が残っていないのが本当に惜しい!

 
ところで疑問が一つ浮かびます。
これだけの堀や川を埋め立てた土は
どこから 持ってきたのかしら?

なぞは意外なところで 解けました。
行田は蔵の街
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たまたま 訪れた”足袋蔵 まちづくりミュージアム”の方と
お話していて 行田市内ある さきたま古墳群の
盛り土を埋め立て用に使ったらしいのです。
リユースするにも なんと勿体ない話ではありませんか!
そのため 土があらわになった関東最大の石舞台古墳も出現しています。
古墳時代から 人の営みがあった行田市 おそるべし。

訪れたのは月曜日だったので 残念ながら博物館は閉まっていました。
今度はお城&古墳めぐりツアーで再取材したいと思いました。

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以前からの 古い石垣ってどうやって組み上げていたのか?
土塁に張り付けただけなのか?  組み込まれているのか???
ずっと疑問に思っていましたが
今回 謎が解けました。

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(写真右の石)表面は平らですが 
ピラミッド型に先端を尖らせて 
土塁に埋め込んでいたようです。
あー そういうことかと膝を打ちました。
ささいな気づきですが 石垣マニアにはたまらん。
一つ一つの石を このように細工していたとは
築城の技術力の高さを思い知らされます。


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by akawak | 2015-10-21 07:31 | Castle

   高幡不動を後にして向かった先は 八王子城。
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ここはもともと国有地で近年 発掘が進み
その全貌が少しずつ明らかになってきた戦国時代の城址であります。

天下統一を狙う豊臣秀吉が
関東の覇権を握っていた後北条氏の小田原城を陥落させる前に 
心理的な揺さぶりをかけるために 壮絶な戦いを仕掛けた八王子城。
後北条氏の三男 北条氏照の拠点であります。
山深い地形を生かした要害の地ながら
1590年 前田利家、 上杉景勝によって攻め入られ
最後は籠城した婦女子を含む多くの人民が
御主殿の滝の上で自刀し身投げしたと言われています。
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これが 東京屈指の(ネガティブな)パワースポットの由縁です。


最近 発掘調査で 城主の居住地であった御主殿の
復元もすすみ見応え充分です。
何よりも この石垣がたまらん!
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お城を鑑賞するうえで 
石垣のフォルムやら 積み上げている石の一つ一つを眺めるのが
醍醐味ですなあ。
ほぼ当時のままの状態で保存されていて 当時の建設技術の研究資料としても
非常に価値があるそう。

さてさて  それでは本丸跡まで行ってみますかねえと
勇んでみたけど ほとんど獣道でへっぽこな現代人は
第一関門の金子曲輪までたどり着けず
ほうほうのていで撤退いたしました。
戦国武将はこの山道を甲冑を着て戦っていたとは!
守るも攻めるもタフの極みですわ。
いやあ 平和な現代で良かった。

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ちなみに八王子城のガイダンス施設が近くにあり
当時のジオラマで丁寧に解説されています。
TEL (042)663-2800





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by akawak | 2015-07-26 08:59 | Castle